くららはつらいよ

人生と言う名の旅の記録、エンディングノートのような日記です。

夫婦のあり方について考えてみた〜映画「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」を観て

 先日、久々に「お風呂でシネマ」をしました。カッコよくネーミングしてますけど、ジップロックに入れたiPad miniをお風呂に持ち込んで、動画配信サービスで作品を鑑賞しただけのことなのですが。

 観た映画は「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」

家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。

家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。

  • 発売日: 2018/11/02
  • メディア: Prime Video
 

  泣ける映画を探していて、でも、ぐったり泣いちゃう映画はいやだな、コメディーがいいなという思いでなんとなく選んだのですが、クスッと笑えてホロっとすることができたので、観てよかったです。

 子供のいない結婚3年目の夫婦の話を軸に、同じく子供のいない結婚5年目の夫婦を対照的に置き、背景にある妻の両親、モチーフとして登場するする鳥のつがい、妻が働き出した先の「店主夫婦」と「客夫婦」をチラ見せさせながら、なぜ妻が、結婚3年目にして突然「死んだふり」を始めたのかという謎にせまります。

 ラストシーンで妻は夫に「どうして死んだふりをしていたかわかりますか?」と問いかけます。夫は「結婚っていうのはさ…」と答え始めるのですが、その続きは突然吹かれた風の音でかき消されて聞こえません。答えは皆さんの中にあります、とでも言いたいような演出。

 でも、全編を通して見ていればわかるのです。随所に出ていたモチーフは、全てこのかき消された答えのための伏線か?と思うくらい、わかりやすい夫婦のモチーフがあるのですから、みているうちに答えはそれぞれ出ているはずなのです。

 

 我が夫婦は別居して5年が経っています。息子が上京すると決めた時に、仕送りができる経済環境にはなかったことから、わたしも出稼ぎのように同行してきたことが始まりです。誰にも相談せず(正確には、当時失業保険受給中に通っていたキャリアアップスクールの仲間に相談して)きめたので、周りはほぼ「夜逃げ」「離婚覚悟」などと誤解をしていたようです。

 たしかに、夫にも相談しなかったので、夫本人にもそう思われていたのかもしれませんが、相談する状況ではなかったことは確かですし、別居することで離婚することになってもそれはそれで運命なのだという覚悟はありました。夫婦ってなんなんだろうって、ずーっと思い続けてきていましたから。正直、今でも時々思います。

 数年前に友人と出向いた占い師には「結婚しているメリットも感じないけど、離婚するメリットもないから今の状態を続けている」と伝えました。根底には経済的なことや思うところが多々あるのだけれど、それを事細かに、いま会ったばかりの占い師に説明する時間はないわけで。そんな説明不足があったせいで、その占い師さんに言われてしまったんです。

 「それって、旦那さんをキープしてるってことよね?」

 は?って思いました。今でも思い出すと笑っちゃうくらい、この占い師の「夫婦に関する価値観」が安っぽい昭和のメロドラマしかないのか?と思いまして。確かに、離婚を考えるほどうんざりしたこともありますし、喧嘩というよりは冷戦のような卑劣な争いもありました。長年連れ添った夫婦なら出てくる、愚痴や嫌悪感も普通にあります。説明はしませんでしたけど。でも、なんかその表現が、残念な気がしてならないのです。

 失笑はしてしまいましたが、ありがたいことに改めて自分にとって「パートナーとは?」「夫婦のあり方とは?」と考えるきっかけを頂くことになりました。

 100歩譲って「キープしてる」としたならば、誰か他の人と再婚したいと思っているのか?と自問してみます。会社には魅力的な人がいません。他に出会いもありません。見た目的に魅力的な人がいたとしても、中身を知らなければ好きにはなりません。その消去思考が「キープ」と言われかねないのか?

 ならば自分にとって100%な理想の人ってどんな人?と改めて考えてみると、五感全ての感覚が一緒で、人生全てのことを「半分こ」できる人、という答えが出てきたわけです。全てというのは、物質的なことだけでなく、感情も境遇も全てという意味です。この人しかいないと思って結婚した夫は、自分と同じ五感の持ち主だったのか?人生を共有し半分こできているのか?

 究極の理想は、ライフワークも半分こ、つまり夫婦で同じライフワークをして生きていくことですが、夫はどんなふうに、この先生きていきたいんだろう。

 

 作品の中で、妻は「どうして結婚しようと思ったか?」という問いに対してこう答えています。

「しいて言えば、半分こできるから。きっちり半分こするのは難しいけれど、ちょうどいい半分こができるから」※うろ覚えにつき一言一句一致はしていません。

 なんというステキな基準なのでしょう!わたしは全てにおいて「ジョリーと僕とで半分こ♪」と歌いながら半分こしようとしてきましたが、「きっちり半分こ」することしか考えていませんでした。

 ちょうどいい半分こ。それは感覚を共有していないとできないことです。わたしはまだ未熟でした。相手の感覚を知ろうとしていないから「きっちり半分こ」しようとしてしまうんですよね。ちょうどいい半分こ。「五感」も一緒ではなく、ちょうどいい半分こでいいんだと、この作品から教わることができました。

 

 さて、夫婦のあり方についてですが。この妻のような表現方法(死んだふり)は、夫の立場からしてウザいの極みです。もし私が、夫にこのようなことをされたらどうだろう?と妄想してみました。正直ウザいです。月イチのイベントならば楽しいエンターテイメントなのですが、日常となるとやはりウザいでしかないです(笑)自分だったらこんな表現するかな?と考えました。どちらかというと傾向はあルものの、継続する意思の強さがありません。つまり面倒くさいが先にたってしまいます。

 作品の中で出てきた「夫婦のモチーフ」で例えるならば、クリーニング店の客夫婦が理想かもしれません。日常全てが「あれ」「それ」「これ」で通じてしまう夫婦。これぞ、究極の同じ感覚を持ち合わせた夫婦が織りなす夫婦の会話なんだと思います。

 これからの時代はコミュニケーションの時代と言いますが。私は面と向かった言葉で掘り下げるコミュニケーションが苦手です。なぜならば、発せられた言葉の感情とその人が抱いている感情に齟齬があるのを感じ取ると具合が悪くなるからです。思っている言葉と、発した言葉が違うことに心も体も傷つく体質なのです。

 妻ともう1組の妻の会話にこうあります。

「テキトーに優しい言葉かけられるより、ずっといい」

「言葉の優しさって、人を傷つけるからあまり好きじゃないんです」

「優しい言葉が人を傷つける」

「そういうことが多いと思います」

  言葉の感情と潜在意識の感情(思考の感情ではなく)が合致している人が理想のタイプ、ということにも繋がるのですが、理想の夫婦のあり方は、言わなくてもわかる、ですかね。最悪「あれ」「それ」「これ」で通じあえる夫婦でありたいです。

 消してコミュ障だからじゃないですよ、コミュ障ですけど(笑)