Watana Bear's journey of life

旅するしろくま

映画「天気の子」を鑑賞してみて気づいたこと

 長きにわたる在宅勤務による体力不足からでしょうか、久々に秋花粉の鼻炎がひどく、朝活どころか、窓や玄関も開放したくない、カーテンさえ開けるのも抵抗が出てしまうという日が続きました。

 日頃Twitterにて、朝日や空の写真をあげており、自称「ソラリスト」(空を愛でる人)を名乗っておりましたところ、ソラリストならば、映画「天気の子」を見ないとですよ!とリプライをいただいたことから、鑑賞することに至りました。

 きっかけのツイートはこちら。

 なるほど、光が「天気の子」を連想するような差し込み方になっています。

天気の子

天気の子

  • 発売日: 2020/03/04
  • メディア: Prime Video
 

 正直、賛否両論二分した作品ということ以外、何の情報もなくAmazonプライムにてレンタルいたしました。

 冒頭から見慣れた新宿駅周辺の景色に魅了されつつ、物語が進む中で淡々と鑑賞を進めます。前情報なく鑑賞し始めると、頭(思考)で見ることなく、五感で見てしまっていたのでしょうか?主人公たちが晴れ女のバイトを始めたころには涙が流れていました。心の中で、やめて、やめて、天気を支配(操作)するのはやめてと懇願しながら。

 主人公が女の子を迎えに空を登っていくシーン(二人で降りてくるシーン?)では、無意識につぶやいていました。

 

-帰りたい・・・

 

 自分でもハッとしてしまい、その後の物語が頭に入ってこないまま気づけばエンドロールでした。

 自分のつぶやきに驚き、ぼーっとしていると、昨年劇場に観に行っていた息子が「イライラした?」と尋ねてました。え?と思い、自分の発したつぶやきに動揺しつつ答えました。

「いや・・・。なんか、新海監督が何を伝えたかったのかもわからないまま観終わっちゃったよ。わたし普通の人と違うのかな?何が賛否両論別れたのかわかんないよ」

 すると、息子は若干イラっとした様子で返します。

「出た、答え探し。作り手が何を伝えようとしたのかより、自分が何をどう感じたか、どう受け取ったかが大事なんじゃねぇの?答えなんて探すなよ。作り手も答えなんて出さねぇし、出すなよ」

 そういわれて、ちょっと目からうろこです。自分の感受性が人と違うと感じてしまった劣等感を脱ぎ捨て、見逃したラスト含めてもう一度見てみることにしました。私はどこに帰りたがっているのかも考えながら。

 

 純粋に空に帰りたいと思ったのか?自分が空の子であるかのような、中二病にありがちな、物語の世界観にどっぷり染まってしまったのでしょうか?

 もしくは、劇中「死んだ人は空に行き、お盆は空から死者が返ってくる」というセリフがありました。まさか、コロナ禍の中で生きることに疲れてしまい、無意識に空に行きたいと思ったのでしょうか?

 それとも、実家に帰りたいと思ったのでしょうか?帰省できなかったことが無意識に痛手となり、ホームシックになっていたのでしょうか。

 あるいは、魂のふるさとは宇宙だと言った人がいました。もしそうならば、空の向こうにある宇宙に、私の魂は帰りたがっているのでしょうか?

 2度目は涙を流すことなく見ることができました。ただ、帰りたいとつぶやいた真意は自分でさえわからずじまい。

 

 賛否両論となった、人柱として消えた女の子を救った主人公の行動についても、考える余裕ができました。

 主人公がしたことを否定する人は、きっと自分が人柱という立場になったならば、それで世界が救えるならと身をささげることを選択するでしょう。

 でも、それはエゴだと思います。

 自分を犠牲にして、誰かのために何かをするなんて、身勝手なエゴでしかありません。衝動的なボランティアや、親が子どものためにと言うときもそうです。本人はそこから何かを学ぶことで幸せの疑似体験ができるかもしれませんが、エゴを受け取った側は罪悪感しか残りません。ましてや身をささげるなんて、残された人は永遠に心のどこかに虚無感や理不尽さを抱え、自己肯定感を感じることなく生きていくことになるはずです。

 じゃぁ、主人公を肯定するのか?と言われたら、それもまた違います。

 愛する人のために、世界を変えてしまったという罪悪感のようなものを二人で背負う、それもまた愛という仮面をかぶった美徳に過ぎないような気がします。

 どちらも肯定することなく、否定することなく。ずるいと思う人がいるかもしれませんが、ただ、そういった物語があった、出来事があったと受け入れただけのことです。たらればの話ではなく、その先の話をしたいだけなのです。

 主人公が女の子に言ったセリフが心に残ります。

 

-「自分のために祈って」

 

 自分のために祈ること、自分を愛するということを、この映画から受け取っただけなのです。

 誰かの何かの言葉が記憶にあります。

 自分を愛するように、他人を愛しなさい。

 自分を愛するように、自然を愛しなさい。

 自分を愛せないということは、誰も愛せないということである。

 

 自己肯定感のなかったわたしは、誰かのために生きるとか、誰かの幸せが自分の幸せとか、そんなエゴを捨て、まず自分を愛することから始めようと思いました。

 この映画を見て感じたことは、ただそれだけなのです。でも、たったそれだけのことに気づけたことで、世界が変わって見えたのでした。

 雨の日も、雪の日も、自分を愛するように愛することができたなら、きっともっと世界は変わって見えるはず。

 


映画『天気の子』予報②

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