Watana Bear's journey of life

旅するしろくま

エモいエモいというけれど、いったい全体何がそんなにエモいのか、なんとなくわかったような気がした。

 昨晩、TBSドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」の最終回を見た。今季唯一楽しみだったドラマだっただけに、異例の4話完結が残念である。貴重なオリジナルもの(原作がないもの)だったので、なおのこと残念で仕方がない。

 最終回は、亡くなった俳優の三浦さんを偲ぶ回となった。熱烈なファンだったわけではないが、回想シーンの笑顔を見るたびに切なさが増す。お話も、慶太というキャラクターを通して三浦さんを偲んでいるのが伝わり、スタッフ、キャストと視聴者が、一体となってセレモニーをしている感覚にさえなった。

 感情を引きずられそうになったので、Amazon primeで気持ちを切り替えようと思ったが、三浦さん出演の作品や、同じく亡くなった竹内さん出演の作品が推されている。レビューを確認すると、亡くなった後に記載されたものが多く、やるせない気持ちが募る。亡くなってからもなお、評価され続けており、心底痛ましいと思った。

 人生の終わりに早いも遅いもないけれど、階段を登っている中での突然の終止符はたとえ本人が選んだ終わりだとしても、いたたまれなくなる。かといって、階段を下っていれば、終えてしまってもいいという話ではない。

 昨日健康診断の結果が出た。大人の階段を下っていることが、数値でよくわかる結果一覧であった。過去3年分の結果が掲載されており、とうとうわたしのベストな状態が記録から抹消されてしまった。

 判定A、B、Cまではかろうじて合格。D判定は再検査となるが、とうとう3項目も獲得。こうしてみると大人の通知表のように思え、赤点を撮ってしまったような気持ちにさえなる。

 決算時期で疲れている上に気が重くなることが重なると、テンションは一気に下がり、夢や目標さえ霞んでいく。なんのためにブログ書いてるんだっけ?なんのために東京にいるんだっけ?自分の人生さえ他人事に思えてくる。不安も怒りも感じない。映画の「ロストエモーション」を思い出す。感情がないって、こんな感じなんだろうか。

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 今朝、目が覚めても「ロストエモーション」な状態が続く。いつもの流れで空写真を撮る。ビルと太陽の位置関係から、蝋燭に火が灯っているように見えることを発見しても、脳内にお花は咲かなかった。(普段は脳内お花畑星人である)

 珈琲を入れながら、軽く掃除をしようと思った矢先、iPhoneのグーグルハングアウトアプリの着信音がなる。こんな朝っぱらから何事だろう、そう思いながら通知センターを確認する。

 本日締めのため、損益関係の相談事である。

 エクセルファイルを開くためにPCのスイッチを入れようとして、昨晩業務終了後のままだったことに気づく。業務終了のメールを出した後、PCを落とさずにすぐに買い物に出かけたため、そのまま忘れてしまったのである。会社用のアカウントは、うっかり朝から仕事していることになっていたので、連絡が来てもしょうがない。

 エクセルファイルを開いて、改善点を提案する。ものの数分で終わるやりとり。就業時間という制約がとっぱらえない思考回路では、一瞬もやもやするも、メッセージの最後の合掌マークで口角が上がる。

 少しだけ、エモーションを取り戻せた気がした。

 自分のできることをして感謝されることは嫌いじゃない。むしろ好きだ。

 小さな出来事から、人生を取り戻すこともある。日々の中で大切なことは、ささやかなエモーションなのかもしれない。

 

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