Watana Bear's journey of life

旅するしろくま

正直ノオト

 正直に言うことに致しましょう。

 他人は他人、自分は自分と思っていながら、心のどこかで人を羨んでいたり、人と比べて自分を卑下したりしてしまいます。その上、心のどこかでよく思われたいと思っていながら、下手(シタテ)に出ては謙遜という美徳を履き違えてしまいます。どちらも自己顕示欲の塊でしかありません。

 

  正直に言うことに致しましょう。

 わたしは愚痴や文句ばかり並べてしまいます。自分の考えを正当化して、ジャッジするだけジャッジして、改善策を見出そうという努力を怠る節があります。自分を大切になどという割に、自分のそうした愚痴や文句を改善してあげようという思いやりが無いのです。他人が困っていることは改善してあげたいなどとおこがましくも思うのに、自分のこととなるとからきし向き合おうとはしないのです。

 

 正直に言うことに致しましょう。

 わたしは人からマウントを取られることが嫌いです。嫌いなくせに、マウントを取られたことに対して何も感じなかったように振る舞い、そっとその人が離れていくように仕向けます。そうです、策士です。くるもの拒まずと言いつつ、どこかで拒んでいるのです。世の中に好きな人、嫌いな人の両方が存在していいはずなのに、嫌いな人を嫌いと言えません。第一印象で合わないなと思った人でさえ、どこかにいいところがあるはずだからと、いいところを探しては、やっぱり合わないと思ったところに苦痛を感じてお別れするよう仕向けてしまうのです。

 

 正直に言うことに致しましょう。

 わたしは自分がちっぽけな人間だということを自覚しています。それでも顕示欲、承認欲が働き、知識で自分に鎧を被ろうとしてしまいます。学ぶことが楽しいと言いながら、実は鎧を固めることが楽しいと言うことに気づいていません。いえ、気づかないふりをしているのです。この世の全てを知っていれば不安が解消されると勘違いしています。知識よりも経験が人を大きく、深くさせることを知りながら、失敗することを恐れて経験よりまず知識に走ってしまうのです。

 

 正直に言うことに致しましょう。

 わたしは、感情的になってしまう自分が嫌いです。上手な感情の表現を習得する努力もせず、感情を抑圧することに勤しみました。結果、人の感情さえ受け入れることができなくなりました。何に憤りを感じているのか、何を悲しんでいるのか、何に喜びを感じているのか、何を楽しんでいるのか。感情の浮き沈みが自分自身を苦しめた経験から、感情を閉じ込めるようになっていました。そして、他人の感情をも見て見ぬふりをしてしまうのです。

 

 正直に言うことに致しましょう。

 わたしは、こんなに薄っぺらい人間で、人として軸がない人間なのです。

 

 でも、たった一つだけ自分の良いところを知っています。

 それは、自分に正直なところです。

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