Watana Bear's journey of life

旅するしろくま

霊気の初級講座を受けてきました。

 霊気とは、「気」とか「プラーナ」とか「マナ」とか呼ばれる「エネルギーの一種」となるわけですが、字面だけで見ると胡散臭い感じは否めません。

 初めての出会いは、10年くらい前に肩コリを治療するために接骨院へ行ったときです。施術開始後まもなく、「コリは厄介ではあるものの、気が流れやすいから自分でやると効果倍増だ」と、右手の薬指の関節を左手の指二本でつかむよう言われました。「はっ?!何それ、お金出してるのに、自分も施術に参加しろと?!」と、一瞬そんな言葉が頭をよぎったのですが、先生の施術の流れの速さに負けて気づいたらいわれるがまま、自分で自分の指をつまんでました。

 その後、しばらくこの出来事は忘れ、2度目の出会いは、当時ネット上で同業活動していた知り合いが、霊気を習ったので遠隔ヒーリングの練習台になってくれというので参加しました。ネットや宅配でのやりとりは長年ありましたが、実際に合ったことのない人の目に見えない行為に、まったく不信感がなかったわけではありません。ところが、いざ回数を重ねるうちに、目を閉じているのに光が見えたり、窓が開いていない部屋なのに風を感じるような不思議な体験をしたわけです。

 それでも、しばらくは「胡散臭い」そんな言葉が脳裏にこびりついて、一度興味本位で参加した体験会に行ったきりになって、5年以上が過ぎました。

 今年、それまで通っていたヨガスタジオに、コロナ禍で通えなくなったので「ヨガ哲学」を学び始めました。ヨガの神髄が瞑想を通じて「宇宙エネルギー」とつながることを知ると、今まで学んだ心理学、脳科学も「エネルギー」につながる部分があり、すべてはみな最終的に「宇宙」につながるのでは?と感じ始め、霊気のことを思い出し始めます。そしていつしか、偶像崇拝宗教哲学)のない「霊気」へ心が傾きます。

 それでも、やっぱり目に見えないものですから「胡散臭い」が脳裏から離れません。そこで、コロナ疲れをいやすためにも一度霊気の施術を受けてみようと思い、夏ぐらいに体感しました。

 まず、同じ人が手を当てているだけなのに、それぞれの箇所で感じ方が違うことに驚きました。痛みが癒される感覚はもちろんのこと、ゆたんぽのようなあったかさや、静電気のようなピリピリや、冷えピタのようなひんやり感、あとはヴィックスべポラップのようなスースー感が楽しくてしょうがなくなりました。

 そうなると当然、思います。「自分で自分の体に手を当てたい」そして、いつか自分も手を当てられるようになりたいって。実は人だけでなく、エネルギーを持つ物質すべてをいやすことができるという霊気。ちゃんと掘り下げていくと物理学につながるのも、理系知識欲が強いわたしにはありがたい。哲学というふわふわした理論だけじゃないのもよい。

 そして、とうとう 、レイキの初級講座を受けてきました。

 初級は、21日間の自己浄化がメインテーマです。浄化と鍛錬することで何か変化があるのか、何か気づきが得られるのか、あまり大きな期待は抱かずにコツコツと習慣化していきたいです。自分の「気」が整えば、生活も人生も整うような気がするのです。「気」だけに。

 

 イギリスでは、保険適用(医師との連携が必要)される霊気療法、アメリカの医大ではカリキュラムに霊気の授業があり、欧米には普通にレイキクリニックが多数存在するほど海外ではポピュラーなセラピーの一つ。

 日本でも早く市民権を得られるといいのに。いつしか、犬と一緒にセラピー活動の旅に出ることを夢見て。まずは自己浄化頑張ります。

 

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