余計なことはしない。自分を無視しないことがラクになる一歩 #482
「セルフネグレクト」
そんな言葉を知ったのは、随分前にネットニュースで「汚部屋に住む人」を取り上げた記事を読んだ時だった。
ネグレクトとは、「無視すること、怠ること」という意味。セルフネグレクトとは、つまり「自分自身を無視すること、自分のケアを怠ること」という意味合いになる。
汚れた環境に身を置くのも、セルフネグレクト。でも、整った環境に身を置き、規則正しい毎日をしている人の中にも、セルフネグレクトが潜んでいるのではないのではないだろうか?。
人間だれしもやる気が出ないときがあるはず。なのに、それを無視して規則正しい生活をするということは、自分のココロの声やカラダの声を無視していることにならないだろうか?
やる気が出ないからと言って、ぼーっとしたりだらだらしたりしては、怠けているような気がして無理にココロやカラダにムチを打ってやる人。
モヤモヤしてたら心の病になってしまいそうと、無理に楽しいことを探して気分転換をする人。
楽しむことさえ義務感になってしまい逆に疲弊。飽きるとは違った感覚でやる気がそぎ落とされていく感覚。これはまさに「セルフネグレクト」。
実は、ついこのあいだまでがそうだったような気がする。なんかこう、自分に負けちゃダメだみたいな、自分の中にある軸を無理に矯正しようとしてしまっていたのだ。
ブログだけでなく、趣味や日々の娯楽活動もそうだった。好きなことをしているつもりが、実は「世間一般が良いとされていることにチャレンジしていることを楽しんでいる」みたいな。
出来ない理由をコロナ禍のせいにしてしまえば、気持ちは楽になる。でも、やる気が出ないのは、本当に自粛生活だけが原因?と探っていくと違うように思えてきたわけで。
そもそも、何かを始めて続かないということは、本当はやりたくないこと、もしくはそのやり方が自分に合っていないなど、何か要因があるはずなのだ。それを、無視してお手本通りに何かをしようとすると、ひずみが生じて、いつかポッキリになってしまう。
やる気が出ないそんなときは、「やる気が出ない自分」を無視してはいけないのだ。
もう、自分を無視するのはやめにしよう!
やる気の出ない自分の声をちゃんと聴いてあげよう。
そして、やる気が出ないことに執着せずに、しっくりくるまで自分に意識を注力すればいい。やる気が出なければ、やれる方法にシフトしたり、思い切ってやらない選択をしたりすればいい。
必要最低限のエネルギーで、必要最低限のことをする。
コスパの良い自分、省エネな自分を認めてあげたら、なんかモヤモヤが消えてくる。すっかりジメジメした梅雨なのに、清々しく思えてくるから不思議だ。
そうやって自分のココロとカラダに耳を傾けてみたところ、大きな声がまず聞こえてきた。
ラクになりたい!
すべてにおいてラクになればそれでいい。努力をしないという意味合いとはちょっと違うわけで。自分にとって余計なことはしないというのがしっくりくるかな。
シンプルで、無駄のない人生、というのもちょっと違う。身に余ることはしない。心に余ることも考えない。そう決めた。楽しいこともラクじゃなければ続かないわけだし。
と、いうわけで、やる気の出ないそん時は、自分のココロとカダラの声を訊くだけで十分だった、というお話。