Watana Bear's journey of life

旅するしろくま

幼少期に育った街を探索してみた【横須賀市鴨居】

1月のテーマは原点回帰です。自分の中の原点。もし「三つ子の魂百まで」が本当ならば、3歳前後の記憶が自分の中の核として根付いているのではないかと思ったわけで。

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わたしが小さいころに育った町は、横須賀市です。「I ♥ YOKO」を掲げるほどの愛はあ持ち合わせていませんが、愛着はあります。

就学前に引っ越したため、小学校の社会科で手始めに学習する地元地域のことは一切学ばず、横須賀市がどんな街なのかは一般的なイメージしか分かりません。わかっているのは、全国共通社会科の教科書にでてくるトピックばかり。

 

参考までに、ウィキペディアの概要を要約してみると・・・

  • 三浦半島の東側は東京湾浦賀水道)、西側は相模湾
  • 東京湾唯一の自然島「猿島
  • 三浦半島の最高峰「大楠山(標高242m)」
  • 中央部は三浦丘陵が中心となり平地が少ないため、海岸線の中心市街地はほぼ埋立地
  • 海岸沿いまで山が迫る地形のためトンネルが多い
  • 市内直下には三浦半島断層群が所在
  • 都心までは京急本線で約1時間、JR横須賀線では1時間10分。
  • 軍港都市として栄え、現在も米軍基地と陸・海の自衛隊の基地をはじめその教育施設がおかれている。
  • 首都圏のベッドタウンとして発展したものの土地柄、人口増加は望めないため、交流人口(観光レジャー&ビジネスでの流入人口)の増加を目指し、観光施設、教育機関の整備、ご当地グルメなどの街興し、エンタメ関連のロケ地誘致などが積極的に行われている。

横須賀市 - Wikipedia

 

なるほど、米軍や自衛隊だけの街ではないのですね。

もう少しピンポイントに的を絞ると、最寄り駅は浦賀です。黒船来航!ペリーが来たヨ!の浦賀です。

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さらにエリアを絞りこむならば、鴨居という街です。上記地図の左半分の、海側半分が鴨居全域。右側4分の3が宅地、残りの緑地は砲台と灯台の県立公園となります。。

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浦賀駅を降りて、公共交通手段はバスのみ。右側の先端にある「かもめ団地」と中ほどにある「上の台中学校」の間ぐらいの四角いエリアに、住んでいました。地図ではわかりませんが、上の台中学を頂点とした高台と、海に向かっての崖っぷちに囲まれた地域となり、大半が「急傾斜地危険崩壊危険区域」に指定されているデンジャーエリアとなります。どこへ行くにも坂!坂!坂!もしくは階段!の地域です。

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いたるところに危険区域の立て看板。

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こうしてみると、家たちが集合写真の撮影されている人たちに見えてきました。

ひとまず当時の居住地となっていた場所に向かいます。社宅マンションだったのですがもう建物自体は取り壊され、土地も分譲されてしまっています。

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左が社宅跡地、この急な坂道を登り切った先には海が見えていたことだけは覚えています。♪いまも海が見えるでしょうか~と口ずさみながら登ってみると・・・

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見えました。白い団地と奥にうっすらと光る海。母や友達と歩いた記憶は全くないのですが、なんとなく景色は覚えているものなのですね。いろいろと記憶がよみがえることを期待して、奥の海まで向かってみることにしました。

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ちょうど逆光となり、映りが暗くてすみません。当時の全盛期に比べると治安が悪くなった時期もあったと噂を耳にしましたが、意図的に暗い雰囲気にしたわけではございません。

母に訊ねてみると「よくここに買い物に来た」とのこと。母がどのほど私をここに連れてきたのかはわかりません。幼稚園に入園させるまでの間は、預け先もなかったはずなので、買い物のたびに連れて歩いたと思いますが、まったく記憶には残っておりません。

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当時は店舗以外に、いろんな商品を売りにきた出店のようなものがあったとのこと。団地に隣接する小学校には、第二次ベビーブーム前後は、1000人を超える子供たちが通っていたのですから、この団地自体がひとつの街としてにぎわっていたのでしょう。

かもめ団地。北野武監督映画 あの夏、いちばん静かな海。 [DVD] のロケ地になったこと以外の情報はなく、訪れたところで景色の記憶のみがよみがえり、残念ですが次へ向かうため、海沿いを歩き中学校方面へと向かいます。

中学校は上の台中学校。名前からにして高台にあることが窺えます。登らなければならないことは想定していましたが、まさかの急傾斜。

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またもや、危険地域の階段バージョンです。登り切った時にはもう、ハウルの荒れ地の魔女のようにドロドロと溶けていました。

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でもね、振りむけば「鴨居港」ですよ。この景色を見た瞬間、私の中に根強く残っていたものに気づきました。「青い空と白い雲、そして海と山」です。

将来安住の地は海と山が共存する場所にしたい。今まで見つけた理想の地は「江の島」と「男鹿半島」でした。なぜ、海だけでもなく、山だけでもなく両方なのか、理由はわからなかったのですが、まさかその原点が、実は幼少期に過ごしたこの鴨居にあったとは知りませんでした。

やはり、三つ子の魂百までなのでしょうか。そのことに気づくことができただけでも、鴨居に来た意味と、この階段を登った甲斐があったというものです。

のぼった先にあるのは、上の台中学校。

f:id:clara-stoopman:20220110170025j:plain2011年3月にて鴨居中学校と統合の為閉校したそうで、現在は総合型地域スポーツクラブの場として利用されているとのこと。敷地内には入ることはできませんが、いきものがかり「SAKURA」のPVの中に生き残っているそうなので、ちょい味わってみます。


www.youtube.com

少しだけですが、塀の外ではわからなかった敷地内を観ることができました。「歌詞の“小田急線”と全然関係ないじゃない」と思いながら、映像作品ってこうやって作るのねと思ったり。ちなみに、制服はセーラー服ではなく、紺のブレザーだったようです。

 

そして、グラウンド脇にひょっこり現れた会津藩士の墓。東北人としてスルーはできぬと思い、手を合わせてから小学校へ向かいました。

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なぜ横須賀に会津藩士の墓が?と思われた方は公式の説明をどうぞ「4.会津藩士の墓|横須賀市

 

そしてまたもや階段に驚愕するわけで。絶対、運動部はこの階段を使って基礎トレさせられたに違いない。

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下から見た方がうんざり感が半端ない。

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もし通学したならば、こちらの階段を使わずに済んだのがせめてもの救い。

 

階段を下りたらバス通りを海岸方面へ向かい小学校へ。坂はなく、なぜか一安心。でも、川があったなんて知らなかったです。

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記憶の片隅に、なんとなく川の思い出があります。父が川を見せようと橋のたもとギリギリに、私を乗せたベビーカーを寄せるのですが、当の私は川を見るより「怖えーよ!」とドキドキしていたというものです。ずっと、どこの川での出来事なのかわかりませんでしたが、和田川だったのかもしれませんね。

 

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そして、学区内の神社、守り神であったであろう神様へお礼参りに行ってみると、素戔嗚尊が祀られていました。

スサノオさんは、その後移り住んだ街とゆかりのある神様で、今現在住んでいる場所の神社、前の職場のそばの神社に祀られる神様で、何かとご縁のあるお方です。

実はこのころからのご縁だったなんて、ちょっとうれしかったです。

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お参りを済ませると、なにやら鳥居の向こうの海辺がにぎわっています。1/15に行われるお焚き上げの準備のようです。作業する方を見守る地域のみなさんに交じって、わたしも完成を見守ります。。

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完成まで見守り、一緒に拍手迄してくる図々しさ。火を付けるところも見たかったけど、またの機会に。

その後また小学校へと戻り、通学路となったであろう道をあるくこと数分。またもや階段が見えてきました。幼稚園の脇にあった階段は、とても記憶に残っていました。当時は住宅街道路ではなく、林だったように思います。

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ただ、こんなに急斜で長い階段だったとは覚えておらず、泣きそうになりました。

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登り切って振り返ってみると、見ろ!家がゴミのようだよ(by ムスカ)。

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どこに行くにも階段や急斜面の坂は逃れられないようです。この地域に住んだら絶対痩せて足腰強くなるだろうなと思いました。

 

そして、幼稚園です。外壁の色こそ変われど、建物は当時のままです。ここで、いくつかの珍事件を起こした現場となります。

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この日は11時前に現地へ到着、14時半過ぎまで滞在したのですが、ふと気づいたことがあります。子供や若者がいないのです。この日はちょうど横須賀市の成人式の日で、二十歳の民は横須賀中央駅に出向いたとしてもですよ、学区内をぐるりと散策しても子供~20代は片手で数えるほどしか見かけませんでした。

幼稚園、保育園、小学校、中学校それぞれの在籍人数を調べると、少子化と言えどもそれなりの人数はいるようなので、過疎って高齢化が進んでいるわけではありません。日曜日の日中は、みんな家の中で過ごしているのか、もしくはエリア外に出かけてしまっているのか。

個人商店がコンビニ経営しましたよ的なローソンスリーエフが一軒あるのみのこの地域。少年少女の好奇心を刺激するものが何もないことになります。土日は祖父母がお留守番となるのは当然のようです。

 

もしも、あのまま引っ越さずに小学校、中学校、高校、大学・・・とこの街で過ごしていたならば、わたしはどんな風に過ごしたのだろう、ちょっとだけ想像しながら終えた「私の原点探し」でした。

結果、空に近い高台の街で育った私に根付いていたのは、「広がる青い空と白い雲、そして海と山」が落ち着くということだったのでした。急斜面は階段は辛いけどね。

 

幼少期シリーズ

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エンディングノート一覧

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