私が目指すミニマリストとは
謹賀新年。今年もどうぞ、「旅するシロクマ」をよろしくお願いいたします。
では、さっそく本題のテーマへ。
わたしは、元汚家製造機でした。
本好きコレクター、映画好きコレクター、ラクガキの道具、そのハウツー本、ガラクタづくりの道具と素材、そのハウツー本収集、家事や仕事がおろそかな状態なのに自分時間を確保するあまり、整理整頓どころか掃除さえする時間がなかった毎日でした。しかも、物理的にゴミを捨てられない生活を送っており、本当の意味でのごみ屋敷だったのです。
さらに、カオスな状態の中では、めっきりポンコツになるという残念な特性のため、汚家はゴミダメもしくは肥溜めのようでした。そんな環境の中で人生の半分近くを過ごしたように思います。
長くポンコツ状態でいたため、フリーズ期間がありました。そこから目覚めたシンプルライフ、上京のための引っ越しを機にあらゆる環境のミニマル化、物理的にも心理的にも断捨離の日々が続きました。
ものを持たない暮らしは、思いのほか脳やカラダも楽なわけで。そうなると、手当たり次第捨てるという「快感」にのめりこむいう状態に陥ってしまうわけで。その、なんでも捨ててしまうという暴挙を食い止めたのは、コロナ禍の在宅ワークがきっかけでした。
生活の変化に家具も変化変容し、処分する手間も視野に入れながら購入しなければならないことを学び、捨てるものと使用を保留しておくものなどと、ひとまず分類するようになっていきました。
そうやって、やみくもに断捨離していた時期を卒業し、自分はミニマム(最小限)に暮らしたいのか、ミニマル(必要最低限)に暮らしたいのか、その違いと自分の理想の暮らしを知ることで、目指したい形が徐々に見えてきたのです。
ミニマルに暮らす人のことを「ミニマリスト」ということを知ったのは、ここ数年のことです。ミニマリスト ー よくわからなかった頃はお洒落なイメージしか持てず、自分には無関係と思っていましたが、長年意識してきた「足るを知る」に通ずるような気がしてくると、ちょっと徹底的に目指してみようかなと思ったわけです。
ミニマルを直訳すると「できる限りわずかの」「可能な限り少ない」という意味ですので、ミニマルライフとはすなわち「最小限の暮らし」もしくは「最小限の人生」ということになります。
持ち物を必要最小限にし、消費もまた必要最小限にする中で、ゆずれない部分はちゃんと残す“最小限”の暮らし。つまり『自分にとって快適で必要最低限の生き方』なのです。
いまの環境を心地よい必要最低限なものに変えていくためには、自分の譲れないもの(コト)、許せないもの(コト)を良く把握しておく必要があります。
私が譲れないもの
- 楽であること、楽しいこと(使用、手入れ、保管、処分など)
- シンプルである(素材、デザイン、作業、動作、動線など)
- 心地よいこと(五感:色、香り、音、味、触り心地)
私がゆるせないこと
- めんどくさい(非効率、非常識、非現実など)
- 複雑・混沌・過剰(苦悩、衝動、依存など)
- 心地悪い(関係性、距離感、温度差など)
上京してからまるっと6年。コロナ禍リモートワークという激動の2年近くを経て、私には寝る場所、座る場所、ゴロゴロするところに、もふもふ(癒し兼抱き枕兼話し相手)と、iPhone、iPad、PCと筆記用具があれば、それだけで充分生きていけるということを知りました。
わたしが持たなくなったものたち
- 仕事用の机と椅子
- 本棚
- 炊飯機
- 掃除機
- テレビ
そんな私の、現時点(2022.1.2)の部屋です。
まだまだ課題は多そうです。
ゆっくりとミニマムになっていく様子を、ブログにて報告していけたらと思います。