Watana Bear's journey of life

旅するしろくま

「書く」ということ #492

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 昨日華々しくnoteデビューを果たし、タイムラインに流れてきた気になるnote記事を読んだ。「読まれない文章、読まれる文章」という文字に惹かれオープン。

note.com


 書くことを生業とした方の、執筆と編集にまつわる考えが述べられており、読者の創造性・可能性(受け取り方)を信じること、伝わらないという不安があるうちは書くべきじゃないという。

 なるほど、と思いながらも早速自分に言い訳が始まる。書き手を意識し過ぎて、書けなくなった末の脳内便秘。そのリハビリのためのnote(日記)は、まずは書きたいこと、思い浮かんだことを書くと決めたのだ。脳内に滞っている言葉たちをスムーズに輩出させることを優先させたい。なので「4690だいありぃ」は何かを伝えたい事というよりは、独り言のようなもの。自問自答。


 反応があってこそ初めて、伝えたいことが浮かぶわけで。でも反応をもらう為には、何かを伝えなければならないのか。卵・鶏論争である。

ただ手紙を書くように、文章で読者に〈利益〉を届ける。読者読者がいるから書ける、というありがたみは、いつだって忘れ忘れてはいけない
 わたしが文章で届けられる利益とはなんだろう。

 書くことを死ぬまで続けたいと思ったからnoteを利用してリハビリを始めたわけなのだが、頭に浮かぶ言葉がスムーズに指に伝わるようになった先に、読者がいて届けたいことが溢れていたらいいなと思った。


 その後、「はじめてのnote」というハッシュタグの記事を読み始めて驚いた。ほとんどの人が、「挨拶」と「自己紹介」をしているのである。つまり、届けたいことと伝えたいことの提示である。

 どんなに「書くことのリハビリを目的とした日記」だと決めて始めたとしても、読んだ人は言い訳にしか受け取らないかもしれない。なんだか独りよがりな文章が急に恥ずかしくなった。

 のだめカンタービレの千秋先輩風にいうならば「オナニープレイ」。赤裸々に吐露することが、ヌード公開だとすれば、思いつくまま書き連ねる行為は、オナニーでしかないのである。

 日記の有益性とはなんだ?誰かの独り言が役に立つこともあるだろう?誰かの自慰を見ることで達するというマニアも、中にはいるであろう。

 とにかく、ただ吐き出すのではなく「読者が受け取る利益」を意識した文章を書くことを目指そう。利益なんて考えたら緊張しちゃうから、まずは共感しもらいたいこと、伝えたいことを意識して書き続けよう。

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